「猫舌男爵」/魅惑の舌触り | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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皆川 博子

猫舌男爵

人を食ったようなタイトルに惹かれて借りてきた、皆川さんの本です。味も舌触りも異なる五本の短編。どれもいいなぁ、流石、皆川さんだよなぁ、と一人頷いてしまいました。

目次
水葬楽
猫舌男爵
オムレツ少年の儀式
睡蓮
太陽馬


好きだったのは、「猫舌男爵」と「睡蓮」、「太陽馬」。
水葬楽」は侏儒が奏でる音が印象的であり、「オムレツ少年の儀式」はやはりここで小道具はオムレツでなくてはならないよなぁ、と感じました。ふわふわと調えられたオムレツって、なんか幸せではありませんか?

■「猫舌男爵
これは、ヤマダ・フタロのニンポをこよなく愛する、ヤン・ジェロムスキなる人物による翻訳本。
ヤマダ・フタロの本を漁る内、彼の手に入ったのはハリガヴォ・ナミコ(針ヶ尾奈美子)が書いたという短編集、「猫舌男爵」。日本語を学ぶ彼は、この本を訳すことに決めたのだが…。翻訳をするには、語学力に激しく難があるジェロムスキは、周りの人間を巻き込みながら、翻訳とは言い難い本を著すことになる。そして、更にこの本が与えた悲喜こもごもとは…。
老日本語教師、コナルスキ氏の怒りから受容の様子が面白かった。うん、まぁ、その生活もありだよね。
山田風太郎は、昔から面白い面白いと聞いていて、十年ぐらい前に一度チャレンジしたんだけど、ダメだったんだよねえ。今だったら、何とかなるかしらん。

■「睡蓮
ある狂女の物語。美貌と美術の才能に溢れるエーディト・ディートリヒは、なぜ「狂女」となってしまったのか。時系列を遡る書簡や日記がスリリング。

■「太陽馬
敗走中のドイツ兵が語る現況と自らの歴史、彼らが閉じ籠った図書館にあったという、言葉ではなく指弦を操るという一族の物語が交錯する。
最初は読みづらくて、取っつき難かったんだけど、読み終わった今、これが一番心に残る。

敗走中のドイツ兵である「俺」。今ではドイツ兵と共に行動している「俺」だけれど、俺の出自は、トルコ語で<豪胆なる者、叛く者、自由なる者>という意味を持つ、コサックの民。皇帝に忠誠を誓う、気高く誇り高き民。
広大な土地を有する富裕なコサックの子に生まれた「俺」は、戸外では常に馬上にあり、そして疾風を、陽光を楽の音に変え、言葉なき歌を歌った。幼き幸せな日々。しかし、運命はコサックを襲う。コサックが忠誠を誓った帝政は倒され、彼らコサックはボリシェヴィキに容赦無く襲われる。それは姉と結婚することで、ドイツ人からコサックとなった、義兄もまた…。
忠誠を尽くすべき皇帝を失い、また義兄を最悪な形で失った「俺」が新たに尽くすのは、ドイツ軍将校である「少尉殿」。崩れかけた図書館に潜伏中の彼らの手に、降伏勧告書がもたらされた。大尉、少尉、従軍牧師、ユーリイ、俺。俺たちはどう動く?

取っつき難かった主因でもある、この中で語られる指弦を持つ一族の話がまた魅力的でねえ。言葉では表しきれない響きや感動が、きっと世の中にはある。それは「俺」が馬上で歌った言葉なき歌と同じ…。

さて、コサックといえば、あの「コサックダンス」しか知らず、また騎馬民族といえばモンゴル!だった私にとって、「俺」が語る彼らコサックの歴史は全く未知の世界。ロシア革命含めて、もそっとその辺の知識が欲しいよ~。