「最後の物たちの国で」/全てが失われゆく街で | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
最後の物たちの国で

ポール・オースター初読みです。翻訳もまた、気にはなっていたものの、これまで読んだことがなかった、柴田元幸さん。

これは、全てが失われゆく街で生きる、「彼女」から「あなた」へと書かれた手紙。裕福でまだ若く、魅力的な女性であった事が示唆される、「彼女」、アンナ・ブルームは、周囲の制止を振り切り、消えた新聞社勤務の兄ウィリアムを追って、その街へと侵入した。

辿り着いた街の状況は彼女の想像よりももっと酷く、兄は勿論見つからず、彼女は生き抜くためにあらゆる手段を取る事になる。彼女と助け合う人々も現れるけれど、この旅は兄を探し出して共にこの街を脱出出来る様な生易しいものでは既になく、彼女は街に閉じ込められる。閉じ込められた、閉ざされた世界の中で、ある人々は死に向かって狂おしく努力し、それ以外の人々は日々を生き抜く事だけを考える。

手紙は街の様子をつぶさに伝えるけれど、普通の世界に住む人々にとって、見たことも聞いた事もない、この街の暮らしは分かって貰えるものでも、想像できるものでもない、と彼女は書く。新しいものは何一つ作られず、人々は死にゆき、赤ん坊は生まれない。そんな街の中で、彼女は恋をし、身篭るけれど、不幸な事故により、やはり赤ん坊は生まれない。

混乱の時代の中、自らの蓄財を切り崩しながら、細々と慈善事業を続けてきたウォーバン博士を創始者とする、ウォーバン・ハウスに身を寄せた彼女であるが、ウォーバン博士の蓄財とて無限ではない。やはりこの施設も永遠ではなく、終焉を迎える・・・。彼女と共に残ったのは四人。ウォーバン・ハウスの物資を一手に引き受けていた、陽気な厭世家ボリス・ステパノヴィッチに、アンナの恋人サムに、ウォーバン博士の娘であり、ウォーバンハウスの後継者であるヴィクトリアに、彼女。

いまこの時点で私が望むのは、とにかくもう一日生き延びるチャンス、それだけです。あなたの古き友人アンナ・ブルーム、別の世界からの便りでした。

彼ら四人は、ボリスの語る突拍子もない御伽噺のように、旅立てるのだろうか。

失われるものを描く点で、小川洋子さんに似たものを強く感じた。何の理由もなく、物事が消え去っていく『
密やかな結晶 』の世界にも近いかも(『密やかな~』で消え去るのは、物に付随する記憶や思いであり、アンナたちの行動は『密やかな~』よりは能動的だけれども)。

引用したアンナの言葉に、「別の世界からの便り」とあったけれど、実際、戦争や内乱の渦中にあったら、それは「こちらの世界」には本当には分からないものであり、渦中にあっては状況も分からぬまま、生き抜く事にただ必死にならざるを得ないのだろうなぁ、と感じた。

柴田元幸さんの「訳者あとがき」より、長くなるけれど引用します。

インタビューなどでも、この作品に描かれた奇怪な事件や状況の大半が、自分の想像の産物ではなく、二十世紀のどこかで実際に起きた(あるいは起きている)出来事を下敷きにしていることをオースターは強調している。たとえばこの小説で詳述される屎尿処理のシステムは、現在カイロで実践されている方式に基づいているし(実際それは、かつて日本で機能していたシステムともそれほど変わらないと思う)、人肉工場でさえ第二次大戦中レニングラードに実在したのだとオースターは述べている。ワルシャワのゲットー、ナチスの強制収容所、今日の第三世界、そして急速に第三世界化しつつあるニューヨーク・シティ・・・・・・。「これは現在と、ごく最近の過去についての小説だ。未来についてじゃない。『アンナ・ブルーム、二十世紀を歩く』―この本に取り組みながら、僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」(ラリー・マッキャフェリーとシンダ・グレゴリーとのインタビューより)。訳者が最近目にした書物のなかでも、本書にもっとも「似ている」のは、サラエボの芸術家集団が作った、ミシュランをもじった旅行書のパロディ『サラエボ―サバイバル・ガイド』だと思う。

小川洋子さんも『アンネ・フランクの記憶』などの本を書かれているわけで、ポール・オースターの喪失の描き方と共通点があるのかも。そして現実離れして見えるこれらの物語は、決して現実とは無縁ではないのだよな。

また、『サラエボ―サバイバル・ガイド』とは、『サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド』のことだと思われる。
私も以前読んだ ことがあるのだけれど、絶望の中にユーモアがある点で、確かに似たものを感じた。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。