「心は孤独な数学者」/三人の天才は如何にして生まれ出たのか | 旧・日常&読んだ本log

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2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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藤原 正彦
心は孤独な数学者

イギリスのニュートン、アイルランドのハミルトン、インドのラマヌジャン。数学において天才的な業績を残した三人は、如何にして生まれ出たのか。自らもが数学者である藤原氏が、辿る彼らのあしあと。数学者が書く数学者の本であっても、それは決して難しいものではない。彼らの人生を、その生まれ育った風土から丹念に辿った本。

目次
神の声を求めて
 Isaac Newton 1642-1727
アイルランドの悲劇と栄光
 William R. Hamilton 1805-1865
インドの事務員からの手紙
 Srinivasa Ramanujyan 1887-1920

この三つの話の中では、その分量にも著者の力の籠り具合が現れていると思うのだけれど、インドが生んだ数学者、ラマヌジャンを描いた「インドの事務員からの手紙」が面白かった。ニュートンはそれなりに知っていたし(というか、知った気でいたし)、ハミルトンも、全く理解は出来なかったけれど
ハミルトニアンH を習った記憶がある。でも、ラマヌジャンについては何も知らなくて、インドのカースト制度やかの国の歴史を含めた、この夭折の天才の話は、自分が全然知らなかっただけに、面白かったなぁ~。名前や地名に馴染みがないので、読むのにちょっと苦労はしたけれど。

神の声を求めて」では、ニュートンの頃から不変であるという、トリニティ・コレッジ(ケンブリッジにある三十ほどの内のコレッジの一つ)の正式ディナー*の様が、「アイルランドの悲劇と栄光」では、それが悲劇であって尚、自らヒーローとなることに情熱を持つ、アイルランド魂**が面白かった。

*七時半頃に広間に黒ガウンを着て集合し、食前酒を飲みながら会話を交わす。八時前に学長を先頭に一列縦隊を作り、中世そのままの食堂へ行進する。学生達が総起立で迎える中、フェローは彼等より二十センチほど高い床上にあるハイテーブルにつく。ドラの音とともに全員起立して、学長によるラテン語の祈りを聞く。暗いローソクの下で二時間ほどかけて食事を終えると、再びドラが鳴って、フェローは行列を作りティールームへ行進する。そこではポルト酒を、必ず右の人からもらい左の人へ渡しながら飲み、銀食器に盛られた果物やチーズを口にする。

**夢の世界に片足を突っ込んでいるように思われるかの国の国民性は、軽挙妄動とそしられても仕方のない歴史を持ち、綿密に計画を練るイギリス人に、ロマンティック・フールと馬鹿にされたりする。
インドの事務員からの手紙」は、まさにこの天才を知らしめたのが、「インドの一事務員」からの手紙であったことから。南インドの貧しいけれども、正統派バラモン家庭に生まれたラマヌジャンは、優等生として高校を卒業し、数学に天才的なものを示したものの、数学以外のものへの関心を失ったために大学は中退、ほとんど独力で数学を学んだのだという。マドラス港湾局の経理部員として勤めるかたわら数学研究を続け、夥しい数の定理や公式を発見したが、インドには判定出来る者があらず、宗主国イギリスの一流学者達に、研究結果の一部を送る事にしたのだ。こうして、天才ラマヌジャンは見出された。

ところで、インド人傭兵の大反乱、セポイの乱は彼らが海外派兵と新銃使用を拒否したことから起こったものであったという。海外に出る事はカーストの掟に背き、新銃への弾丸装填には、牛脂や豚脂を塗った弾丸包みを噛む必要があり、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒はそれらを噛む事を拒否したのだ。

インドの人々にとって、カーストの掟は斯様に重要なものである。イギリスの数学界に見出されたものの、正統派バラモンであるラマヌジャンにとって、渡英はまさに戒律破り。カーストを逸脱することは、これ即ち自らが属する世界からの、自らの係累を含めた追放を意味する。ラマヌジャンは、信仰篤い母コーマラタンマルを説き伏せ、自らをも納得させるために、ナーマギリ女神の真意を確かめんと、女神の祀られているナーマッカルへの巡礼を経て、渡英を果たす。名声を博し、彼を見出した数学者ハーディとの独創的な共著論文を多数ものしたものの、極端な菜食主義や、第一次世界大戦によるインドからの物資の困窮により、ラマヌジャンは病を得てしまう。インドに戻った彼は、妻ジャーナキの献身的な介護を受け、また病床にあって尚、多数の公式を見出すものの、32歳でこの世を去る。

このラマヌジャンについての記述は非常に詳しく、インドと同じく、所謂西欧諸国的にはマイナーな国である日本の数学者としての、藤原氏の強い思い入れがあるのかも、と思った。

【メモ】
タフトゥ:後頭部に残した房(前髪は剃る)
ナーマム:額に練粉で描くカーストの印。白い大きなUの字と、真中の赤い縦線とからなり、それぞれヴィシュヌ神の足と配偶者を象徴する。
ドラヴィタ人:インダス文明を築いたと言われる民族。
チャンティング(詠唱):インドでは長い間、教科書でさえ全て詩文で書かれていた。

 ←文庫も。表紙、いいですね。

藤原正彦氏の両親は、「
流れる星は生きている 」の藤原ていさんと新田次郎さんなのですよね。気骨もやっぱり遺伝するのでしょうか。