「占星師アフサンの遠見鏡」/真実を語るということ | 旧・日常&読んだ本log

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2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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ロバート・J. ソウヤー, Robert J. Sawyer, 内田 昌之

占星師アフサンの遠見鏡 (ハヤカワ文庫SF)


ターミナル・エクスペリメント 」から、勢いづいてのソウヤーです。

表紙絵を見ても、恐竜が主人公である事が丸分かりなんだけど、今度の主人公は恐竜キンタグリオの少年、アフサン。まだ年若い田舎の少年であるアフサンは、帝都に上り、見習い占星師として、頭の固い宮廷占星師のタク=サリードに仕えていた。

さて、恐竜であるキンタグリオ一族には、当然ながら野性としての様々な本能がある。しかし、彼らは宗教と理性の力で、それらの本能を抑え込み、世襲制の国王のもと、中世ヨーロッパ的な文明社会を築いていた。キンタグリオの社会の中では、その個体が大人になるために、狩猟と巡礼という二つの通過儀礼が定められている。

狩猟は憎悪と暴力の衝動を一掃するための儀式であり、特別な仲間意識を共有することが出来る。消すことのできぬ縄張り意識を持つキンタグリオが、友情と協調によって一つになる事が出来るのだ。巡礼は、彼らが住む大地を離れて大河へ漕ぎ出し、かつて予言者ラースクが発見したという<神の顔>を詣でる儀式。この二つの儀式を通過することで、そのキンタグリオの魂は来世で救われるのだ。

さて、ダイボ王子と共に、ダシェター号に乗って巡礼の旅に出たアフサンは、遠見鏡を使って天体を観察するうち、驚くべき発見をする。それは、キンタグリオたちが作り上げてきた社会通念を、真っ向から否定するものであった…。

この発見を黙っているべきか、更に仮説を深めるべきか? 偶然現れた巨大川蛇、カル=タ=グードへの、ヴァー=キーニア船長の執着から、アフサンは船をそのまま同じ方向へと進めることに成功し、この世界が水で覆われた球体であることを発見する! 

というわけで、ネットを見ていたら、これは恐竜ガリレオ少年の物語であるそうです。

実は本国ではキンタグリオ三部作として、残り二作が出ているらしいのだけれど、残念ながら日本では未訳。なので、最後の方は、もうページ無くなっちゃうよ~、と思いながら読んでたんだけど、やっぱり、ええ!そこで終わっちゃうの?!という終わり方なのでした…。いや、一応、これ一冊でも完結はしているのだけれど、「序章」という雰囲気も強いんだよなぁ。

最初の頃のアフサンは、まさに田舎から出てきたばかりの少年なんだけど、様々な出来事を経てアフサンは成長していく。自らの力で真実を探り当て、その真実のために戦い、そして尊敬出来るパートナーとも出会って恋をし…。真実を伝えることは、時に大変な難しさを含んでしまう。特に、それが誰かが信ずるものを否定することになってしまう場合には。しかし、キンタグリオ全体の危機をも予知することになってしまったアフサンは、真実を伝えることに躊躇はしなかった。その代償は非常に大きなものになってしまったけれど…。

うーん、ここから先のアフサンについても知りたいなぁ。続編では、アフサンの息子やアフサン自身も活躍するそうなのだもの。キンタグリオの習性なども面白かったです。野性的な狩猟の場面や、縄張り意識の話がある一方、そういうのが向かない体型なのに、寝板に寝そべって本を読んだり、書きつけをしたり(尻尾があるので、仰向けにもなれないし、ぺたんと座るにも不具合があるのかな)、 理性的であろうと礼儀正しいところには、なんだか健気な愛らしさを感じてしまいました。