「生きている江戸ことば」/せめて浮世をおかしみましょう | 旧・日常&読んだ本log

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2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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林 えり子

生きている江戸ことば (集英社新書)


目次
はじめに
江戸川柳と江戸ことば
あ~わ
おわりに


私、それすら知らなかったんですが、「川柳」とはある人物の雅号だったのですね。
本名、柄井八右衛門正通。享保三年(1718)年生まれ、寛政二年(1970)年に他界。

門前町の管理人、「門前名主」の家に生まれた柄井八右衛門正通だけれど、父がなかなか家督を譲らなかったために、齢三十八にしてようやく「門前名主」になれたのだとか。著者林えりこさんは、このあたりに、「川柳」誕生の由縁をみる。

戦争のない平和な時代だったからこそ、当時の江戸には文芸や学術、美術など、様々な文化が花開いた。それらのサロンでは、武家、町人、職人など、あらゆる階層の人たちが、楽しみを分かち合ったのだとか。このサロンにおいては、身分制度などは払拭され、それぞれ思い思いのサロンに参加出来たらしいのです。

そんな中、俳諧は投句料を必要とするくらいの、比較的、お金のかからないサロンであり、そこが脛かじり状態であった川柳にはちょうど良かったのではないか、とみる。俳諧から始まった川柳の句は、「前句附句」(略して「前句附」)→「一句立」ときて、川柳となる。低俗な傾向に走りがちな「前句附」に、俳諧的な格調をつけ、町人層だけでなく、武家たちをも誘い込んだのが、新しいところ。人情の機微、物事の深層を穿ち、人間の愚かさをわらうおかしみが、「川柳点」のねらい。

さて、どうして、「はじめに」で川柳について長々と語られるかと言えば、この「江戸川柳」自体がその時代の「江戸ことば」を駆使して作られたものであるから。日常を楽しみ、浮世をおかしんだ江戸っ子の江戸ことば、江戸川柳を紐解いてみましょう、という本です。

あ~わまで、五十音順に沿った江戸ことばと、そのことばが入った川柳の解説が載せられています。

<猫なで・鼠舞い>では、

 猫なでの姑に嫁鼠舞い

という句が紹介され、「鼠舞い」という言葉は、恐れてためらうさま、こそこそと逃げる事にも使われるそう。猫と鼠は江戸市井に欠かせない存在だったため、川柳にもよく登場したのだとか。

 
夜伽とはねっこりとしたうそをつき
 
 ふてる嫁ねっこり持て来たのなり


の二句で使われる<ねっこり>も面白い。現在では使われなくなった言葉だけれど、これ、たんまり、という意味だそう。

あと、知らなかったのが、<のろま>が野呂松人形の略だったということ。これは江戸の泉太夫座で、野呂松勘兵衛が使い始めた操り人形で、扁平な頭に青黒く塗りたくられた顔面を持つ道化人形なんだとか。このため、「野呂松」が愚かものの異称になったんだって。

解説があっても、ちょっとわからないところもあったけれど、概ね楽しく読みました。特に数が多かったのが、吉原がらみの句で、随分とまた江戸の生活に溶け込んでいたんだなぁ、とちょっとびっくり。もともと、江戸の人口は男性の方が多かったのだろうけれど、更に川柳を作るのは男性が多かったのかなぁ。