「停電の夜に」/世界とわたし | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義

停電の夜に

目次
停電の夜に
ピルザダさんが食事に来たころ
病気の通訳
本物の門番
セクシー
セン夫人の家
神の恵みの家
ビビ・ハルダーの治療
三度目で最後の大陸
 訳者あとがき


各所で高評価をお見掛けするこの短編集。そんなに良いなら、と借りてきたのだけれど、これは皆さまが書かれていた通りの、良い物語でありました。
でも、この「書かれていた通り」というのがちょっぴり曲者で、あんまり予備知識無しに読み始めた方が、この世界にどっぷり入れたのかもなぁ、とも思いました。予備知識があったので、「あ、こういう世界なんだよね」と思いながら読んでしまったのが、ちょっと勿体無かった感じ。

カルカッタ出身のベンガル人を両親に持ち、幼い頃に渡米したジュンパ・ラヒリ(そして、これまた各所に書かれていた通り、実にお美しい!)が描くのは、私にはあまり馴染みのない、アメリカにおけるインド系の移民や、インドを舞台としていても、普通の人たちからは少し外れた人たちが生きる世界。
移民である人々は、遠く故郷を離れた町で暮らし、故郷を思う。少し外れた人たちは、「普通」を思う。ここではないどこか、現在ではないいつかに、心を残し、または緩やかに心を奪われている人たちが、織り成す物語。

国と人との関係においても、この物語の中の登場人物たちは、ぽつんと一人立っている感じがするのだけれど、それは人と人との関係においても同じ。夫婦の関係においても、一人一人は他人なんだなぁ、という感じがする。「停電の夜に」における夫婦も然り。暗闇の中だから言えること、暗闇の中ではなく、明るいところで告げたかった事・・・。好みとしては、「三度目で最後の大陸」の夫婦だけれど。「三度目で最後の大陸」で、主人公である男性が語る夫婦の歴史にはじーんとくる。

わたしたちが孤児だったころのあとがきに引用されたカズオ・イシグロの言葉のように、「突然、世間の荒波の中に放り出されたわたしたちも、言ってみればみな孤児のような時期を経験している」わけで、移民という存在を通して、そういう世界が描かれているように思いました。


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