「血族」/ファミリー・サーガ | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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山口 瞳

血族


山口瞳さんのファミリー・サーガです。この本のことは、桜庭一樹さんの読書日記で知りました(こちら )。気になって図書館から借りてきたら、ぐぐっと引き込まれ、桜庭さんも「ページをめくるのが止まらなくなったー!」と書いておられるけど、まさにそんな感じ。すっかりページに引き寄せられてしまいました。

薄皮を剥ぐように明らかになっていく、山口氏の母上がひた隠しにしていた母方の「血族」の事情。それはまるで、良く出来たミステリー小説のようでもある。

雑誌に頼まれ、田中角栄論を書いていた山口氏。田中角栄に迫るにあたり、自分の父親との対比を試みようとしていた氏は、ふとこれまで気づかなかったことに気づく。それは、父と母、それぞれの若い頃や、その後の写真はあるのに、両親の結婚式の写真が存在しないこと。自分が生まれる前の写真が、存在しないのはなぜなのか? それだけであるのなら、そう不思議なことではない。しかし、謎は続く。

兄と自分の近すぎる生年月日の謎、「瞳」という男性としては珍しい名前を氏に付けた母の謎、美男美女ばかりの親族の謎、その親族が皆、どこか頽廃的な性情を持つという謎…。山口氏自身に纏わりついた欠落感…。そして、親類の謎めいた言葉。

「いつか教えてやるよ」
と、親類の一人が言った。その人も明治の生まれである。
「いつか教えてあげるけれど、まだその時期じゃないな。お前は小説家なんだから、知っておいたほうがいいかもしれない」

そう、氏の家族には、確かに「何か」があったのだ。しかし、それは母がひた隠していた秘密でもある。父と母の秘密を暴くことを躊躇していた氏は、教えてくれる親類も全て亡くなってしまった頃になって、改めてその謎に向かい合うことになる。

自らの家族の謎を追い求めるという点で、マイケル・ギルモアの「心臓を貫かれて 」を思い出す。

時に怖れながら、時に秘密を暴く辛さに慄きながら、謎に迫って行く姿は、痛々しくもある。

正直ね、時代の違いからか、そうして浮かび上がった真実に、さほど驚きを覚えなかったりもするのだけれど、どこまでも仲間であったのに、血よりも濃い絆で結ばれていたのに、ばらばらであらねばならなかった事情が辛いなぁ。ばらばらでありながら、やっぱり強い絆で結ばれてもいたのだけれど。

「心臓を貫かれて」では、マイケル以外の家族を繋いでいたのは、彼らが体験した同じ地獄だったけれど、「血族」においても一族を繋いでいたのは、彼らが共通に背負った業であった。人を繋ぐのはプラスのものだけではなくて、時にマイナスのものが強く人々を結び付けることがある。なんだか、その繋がりが哀しいものだなぁ、と思いました。でも、過去があって現在がある。過去の欠落は、また新たな欠落を生んでしまう。たとえどんな過去であっても、共有してこそ家族なんじゃないかなぁ、とも思いました。愛する者だからこそ、知られたくないこともあるのだろうけれど…。哀しいけれど、迫力の一冊でした。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。