- 古川 日出男
- 「沈黙
」
物語るとは人をあざむく事。
そう作中人物に語らせる、古川日出男が語り、騙るストーリー。
それは架空の音楽史であり、「獰猛な舌」を持つ家系の話であり、転生する悪との戦いの話である。音楽史と家系の方にばっかり気を取られて読んでいたら、ラスト、急に悪との戦いの方がクローズアップされちゃって、ちょっと戸惑いました。うーむ、その辺り、ちょっと消化不良。あんなに上手くいっていた静さんとの生活を捨ててまで、薫子は戦いに出なくてはならなかったのでしょうか。楽しみにしていた、雪かき後の温泉は~?
東京に住む美大生、秋山薫子は喪われた母系の親族を知り、若くして亡くなった実祖母、三綾の姉、大瀧静の家に住まわせて貰うことになる。移り住んできた薫子と猫は、大瀧の屋敷に直ぐに馴染む。
屋敷の地下室には、ジャケットもなく、ラベルを剥ぎ取られた何千枚ものLPレコードと、徹底した防音が施されたリスニングルーム、そして、やはり若くして亡くなった静の甥、修一郎が遺した「音楽の死」と題された十一冊にも及ぶノートが残されていた。
「音楽の死」と題されたそのノートは、カリブ海から始まった「生きのびるための音楽」ルコ(rookow)の歴史を記したもの。想像力が歴史を系(つな)ぐ。あたし、薫子は、ルコの歴史を紐解き、読み解く。そこには誤読の可能性すらも、赦されている。ノートのトレースにより、ルコそのもの、修一郎そのものをトレースした薫子は、そうして音楽そのものとなり、ルコとなり、修一郎の脳を手に入れる・・・。
さて、薫子には、かつて秋山燥(ヤケル)という名の弟がいた。小学生だったある日、鍾乳洞の中で完全な闇を体験した燥は、薫子の家族が知っていた弟だったものとは違っていた。父は弟の所業に顔を無くし、薫子は東京へと出て行く。
薫子と燥の対決の前に、今では修一郎ともなった薫子は、修一郎の父、大瀧鹿爾と怪物との対決、大瀧鹿爾と修一郎の対決をも視る。悪とは形、形式であり、悪に対抗できるのは、ただ聴くことの出来る音楽である。生き伸びるための音楽史を創り上げた修一郎であったけれど、悪を葬ったことで、後に聴力を喪う。また、悪を縊った鹿爾は、自らが悪となってしまった・・・。悪とまみえることで、鹿爾と修一郎の二人は音楽=生を失ったけれど、燥と戦った薫子にはまだ音楽が残されていた。
その辺は希望なのかなー。うーむ、音楽の歴史、声で変装を施すことが出来る、獰猛な舌を持つ鹿爾、その鹿爾に鍛えられ、本職の声優すらを唸らせた修一郎の声の話などは面白かったんだけど、私にはどうにも「悪」が分からなかったような気がします。修一郎のおじにあたる、祝田慶典による、でたらめな吹き替え映画、「マシンガン姉」も気になるな~。「マシンガン姉」って・・・。タイトルだけで、何だかすごい。
「悪」というのは戦ってたおせる、毀せるものではなく、京極堂のように「落とす」もんなんですかね。人を唆し、世界の破綻した部分を嗅ぎ付ける燥のような悪。うーむ、これは、ある意味、クリスティのポアロ最後の事件、「カーテン 」のようなタイプの悪でもあるのかな。そうだよなー、あのポアロですら、あの「悪」には手を焼いたのだった・・・。
文庫では「アビシニアン 」と併録されているようですが、これ、保健所を襲撃して、エンマの猫を救い出したのが、薫子たちだったからなんですね。しかし、このボリュームを併録するっていうのも、なかなか凄いかも。「アビシニアン」はさっさと読めたけど、「沈黙」は今週ずーっと読んでましたもん。二つのルコに翻弄された面も大きいんだけどさ。
目次
第一部 獰猛な舌
第二部 カムフラージュ/モンタージュ
第三部 受肉する音楽
第四部 ルコ